『玉葉のなかの
義仲」
九条関白兼実
日記
書き下し
(登場人物解説)
釈者 丸山勝己
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『般若心経を
科学する」
現代文で解り
易く般若心経
を解説
宇宙とは
自然とは
心とは、
を解明
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158×256 - 「慧可断臂図」雪舟(国宝、齊年寺蔵)
禅宗の開祖・天竺の達磨大師が
厳寒の嵩山の少林寺において面壁坐禅中ということを聞き、慧
可という僧が再三に渡って達磨大師に面会を請うたが許されず、
門前にてその日も雪の中を待ち続けた。
振りしきる雪は、慧可の膝を越え夜が明け始めた頃、有様に
気付いた達磨大師が声を懸け面談が許された。
慧可が言うには、「大蔵經(一切經)も読み修行もして三学(戒
律・禅定・智慧)にも通じました。しかし、どうしてもこころに安心
が得られません。どうか安心を教えて頂きたい」
達磨大師は「お前のような軽薄な者に、このような一大事を教
えられるかと!」一喝した。
慧可は自ら左腕を切り落として「これでも軽薄と云われるか」と
決意のほどを示したところ、達磨大師は、益々軽率なやつめとあ
ざ笑いながら慧可を諭すために禅問答を仕掛けた。
「お前はこころに安心がほしいと云ったな!それならば安心をやる
から、こころをここに出してみよ。さすれば安心を入れてやる」
「慧可、不可得」 つまり「解りません」と答えたところ、ようやく入
門を許されたという有名な禅機の一場面である。
達磨大師のリアルにあらわされた面貌と一点を凝視する鋭い
まなざしが画面全体に息苦しいまでの緊張感を生み出している。
達磨尊 九年の行も 無になして
まことのときは 南無の一声
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右中弁藤原 平氏
この次兼光相語りて云わく、越後国の勇士(城太郎助
すけもと 領主
永弟助職、国人白川御館と号すと云々)、信濃国を追
平清盛 宗盛
討せんとす(故禅門前幕下等の命に依るなり)。
1181年横田河原の合戦
六月十三四両日、国中に入ると雖も、敢えて相防ぐ者
無し。殆ど降を請う輩多し。僅に城等に引き籠る者に
於ては、攻め落すに煩い無かるべし。仍て各勝に乗ず
る思いをなす。
信濃
猶、散在の城等を襲い攻めんとする間、信乃源氏等、
義仲軍 根井行親軍 安田義定軍
三手に分れ(木曾党一手、佐久党一手、甲斐国武田
の党一手)、俄に時を作り攻め襲う間、嶮岨に疲れ
たる旅軍等、一矢を射るに及ばず、散々に敗れ乱れ
了んぬ。
大将軍助職、両三所疵を被り、甲冑を脱ぎ、弓箭を
棄て、僅に三百余人を相率い(元の勢万餘騎と云々)
本国に逃げ脱し了んぬ。残り九千余人、或は伐ち取
られ、或は嶮岨より落ち命を終へ、或は山林に交り
跡を暗くす。凡そ再び戦うべき力無しと云々。然る
間、本国在庁の宮人已下、宿意を遂げんため助職を
会津 藤原秀衡
凌轢せんとする間、藍津の城に引き籠る処、秀平郎
従を遣わし、押領せんとする。
仍て佐渡国に逃げ去り了んぬ。その時相伴う所、纔
藤原
に四五十人と云々。この事、前治部卿光隆卿(越後
後白河法皇殿上
国を知行する人なり)、今日慥かなる説と称し、院
に於て相語る所なりと云々。……
(『玉葉のなかの義仲』より)
今から、約137億年まえのこと。森羅万象何も存在しな
い、つまり、ひかりやエネルギー・音や風、そして気配さえ
もなく、どこまでも真っ暗闇(虚無)の中に、小さな塊があり
ました。小さな黒い塊は、水の数千億倍の比重(現象世界
最大の比重は22.57のオスミウム、金は19.32)があり、そ
の重力により一切の星やひかりやエネルギー、音さえも
吸い込まれて小さな塊となっていたのです。
そして、或る剋(とき)その小さな塊にゆらぎが生じ、臨界を
超え突然爆発(ビッグバーン)が起こりました。
爆発に依って、放出されたのは、無量の小さなひかりとエ
ネルギーでした。「無量」とは、釋尊が説かれた数詞です
がこれは10の68乗のことで、また、放出されたひかりとエ
ネルギーのことを『清浄光』といいます。
清浄とは、やはり数詞であり、10のマイナス72乗のことで
ある。………
(宇宙を説くため釋尊が解かれた数詞)
丸山勝己著(宇宙を解明『般若心経』より)
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