土田御前回想(文禄二年冬)
わらわは織田信長殿の生母で、皆から土田御前と呼ばれておりまする。宇田源氏佐々木流の末裔土田政久の娘として、美濃国可児郡土田庄に生まれたからでしょう。天文二年(1553年)尾張の織田信秀様に嫁ぎ、翌年嫡男吉法師(後の信長)を授かりました。その尾張の大うつけと呼ばれた信長殿が、あのような数奇な運命を辿ることになろうとは、どなたが想像できたでしょう。そして、末娘の市は北近江国の浅井長政殿にご縁があり、三姉妹に恵まれます。この孫娘たちも波瀾万丈の生涯をむかえることとなります。長女茶々は、関白秀吉殿に。次女初は、小浜藩主京極高次殿へ。三女江は、征夷大将軍徳川秀忠殿へ嫁ぎ、天皇様ご縁が結ばれたのには驚嘆いたしました。戦国乱世の荒波に翻弄された人生ではございますが、それでも、幼少のころ無心に戯れ遊んだ土田の風景を懐かしく想い出します。見知らぬ信秀様に嫁ぐおり大脇湊の船からの鳩吹山、木曽川の奇岩の美しさは決して忘れるものではございません。今はただ信包殿と伊勢国安濃津城にて信行殿や信長殿、信秀様の法要を済ませひっそりと暮らしております。
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